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李長鎬〈イ・チャンホ〉『寡婦の舞』 [AtBL再録1]

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 『寡婦の舞』「Widow Dancing」は、ワイド・スクリーンいっぱいに赤いマニキュアをした女の指がアップになる場面から始まります。若い女が語る身の上話が重なってきて、これは、一昔前のわがピンク映画のブルーに屈折したイントロ部分に似かよっているようでもありました。

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 李長鎬監督の最近作であるこの映画、あまりに内容が暗いので公開後すぐにネクラ入り(おっと違った)オクラ入りしてしまった曰くつきですが、今回、瓜生良介と発見の会のプロデュースにより日本公開の運びとなり、ぴあ・フィルム・フェスティバルのプレミア上映を経て、各地で公開の後、九月に東京上映となります。昨年も同じ主催によって自主上映された同監督の『風吹く良き日』が、大方の好評にむかえられ、おまけにNHKでテレビ放映までされたことは、記憶に新しいでしょう。

 とまあ、予備知識はほどほどにしまして、実のところ女性映画なんてしろものは、本欄の対象にいれたいものも色々あって、目ぼしい作品をならべてみても、何かもうひとつ、どれもが相変わらずの「自由な女」「翔んでる女」「自立した女」の映画ばっかりで、新味がないなどと評定すると怒られそうですが、フム、どうしたものかとためらってしまうのですね。女性の置かれた社会状況は(女性は、ではありません)まだまだクライし、そのクラサを直視しなければいけない、というのがこの映画の一つの立脚点であるようです。
 その意味で得がたい傾向をもった作品であることがわかると思います。これは本当に、この国でやろうとすると半分ポルノになってしまうような題材なんです。イントロなんかはまさしくそのようで、何かいまにも、安っぽい色調にとらえられたその室内で、アヘアヘ・ムレムレが始まってきそうなフンイキ。どういうふうに展開されてくるのかというと、エロではなくて、やはり李監督独特の重心の重い画面に、沢山の話がぎゅうぎゅうと詰めこまれてきます。
 重たさをやわらげ、画面をコミカルに仕立てあげようとして、コマ落としや誇張たっぷりにデフォルメされた反復が多用されていますが、これはどちらかといえば、作り手の思いだけが先行するような、努力賞に終る要素のように思えます。

 主演女優は、同監督の戦争映画『日松亭の青い松は』のあの李甫姫〈イ・ボヒ〉あの方であります。
 全体は三話にわかれて、オムニバス風にもできているし、連続して一本の大筋になっているというふうにもつくられています。最初、赤いマニキュアをした若い女が男(ニッポン人です)にだまされて子供だけ残ったなんて話をしていまして、きいているのが海千山千の顔をしたオバサン(朴正子 パク・ジョンジャ)。このオバサンが結婚仲介業の元締め、やり手婆すれすれの方法でアホな男をだまして紹介料を取る一方、薄幸の女たちをひきとっては家族的に面倒を見ているという「イエスの箱舟」女版みたいな人。
 これだけだと昔の森崎東の『女生きてます』シリーズに近い人情喜劇を想い出すけれど、こっちはどんどん下降してゆくカンジ。目には目をで、この人、ヒロインを日本人男にだまされた在日朝鮮人(つまり日本語しか話せない)の役に仕立てあげ、成金をだまそうと画策します。それが裏目、警察のオトリにはめられて仲介業は一網打尽、二人は牢屋行きで、これがまず第一語です。

 次に第二話がぎっしりと密度が濃くて、話がいりくんで、少し苦しくなります。ヒロインの兄夫婦というのが子供を引き取ってくれますが、職業道路掃除、子供二人の一家が長屋の一間暮しに、声をおしころしての夫婦生活もあれば、親子ゲンカの絶えない隣家の息子が赤ん坊に添寝する母親を犯そうと忍び込んでくる屈辱的な欲情もある、というにぎやかさ。
 加えて旦那が交通事故で死亡、寡婦はビルの掃除婦に働きに出る……要するに、徹
底した貧乏の話なのです、ここに詰め込まれているのは。貧困が一番に本質的な題材だとする李監督の姿勢とそういう姿勢を社会秩序にとって好ましくないものと規定する(韓国の)政府側の方針との緊張が明らかになってきます。

 第三話はまた飛躍、刑期を終えて出所したヒロイン、なぜか子持ちの男と再婚しているのだけれど、某新興宗数団体の狂信者になっていて、家族など、全く顧みないのです。カミガカリになっている彼女の傍らには、また元締めのオバサンがいるわけです。
 男は子を連れて去るし、教会も札束だけをフトコロに逃げてしまうという常識的な破局になって、まただまされたという話。ここから映画ははっきりしたメッセージを前面に出してくるように思えました。
 だまされた女が歴史を作るというような迫真性です。
 教会の集会はほとんどものすごいフィーバーで踊り狂っている信者たちの姿を捉えることで終始していたから、ダンシング・ウィドウの意味がそこから突き抜けてくることが容易にわかるでしょう。
 弱者の敗北というパターンではなくて、開き直って、どんなことがあっても引き退がるもんか、と誓い合う二人が残るのです。ここにまた作者の生な訴えをききとるべきなのでしょう。

「ディアダブリュ」1985年8月号


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