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寺山修司『さらば箱舟』 [AtBL再録1]

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 寺山修司にとって晩年は訪れたのだろうか。
 その死は余程に無念な途上の突然の断ち切られた墜落のようなものだったのではないか。
 遺作として発表された『さらば箱舟』のさしあたっての印象は、どうしてもその問いに私を運ぶ。

 ここには、かつての寺山の映像にみられためくるめく異化作用が変わらずあるであろうか。あるいは土俗的モダニズムの自己顕示が変わらずあるであろうか。
 たぶん晩年とは、こうした過去の栄光ある達成が、あらゆる小さな支流が一つの本流へと流れ込んで一堂に会するかのように、完熟した作品を実人生の終焉と交換に産み落とす、幸福な時期を指示するべきなのだろう。そうした時期を得ることなしに、かれは《不完全な死体》であることを止めた、と思われてならない。

  《売りにゆく柱時計がふいに鳴る横抱きにして枯野ゆくとき》

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 ……一体、この映画の出演者たちは、寺山の世界の何を共有して、映像の中に自己を定着したのか。いや、ことさら責を分散させるふうの断定はとるまい。寺山は、何故、その題名をほのめかすことすら原作者が許さなかった《ある作品》からインスピレーションを得てこの作品に向かったのか。そしてここで自己のエピゴーネンにとどまる他ない衰えに自らをさらしてどんな無念を想ったのか。いや、想わなかっかのか。
 百年の孤独はここでは単彩画である。
 それ自体の出来映えを美でる者のみが『さらば箱舟』に称賛の言葉を贈ることができる。
 早熟な病性でもってこの国の構造的地域差別の「百年」をえぐり出そうとした十代の歌人の多彩な「芸術的生涯」はこのように閉じられたからして、そこに幸福な統一体をみたい者のみが同様のことをできる。

 そうなのであるが、わたしは、この映画が奇妙な一種の沖縄映画であることにも気付かざるをえない。再び何故、かれはかれのインタナショナルな私性の劇の舞台を、具体的に、沖縄という風俗において指定することを選んだのだろうか。その問いは当惑と失望とを誘引する。何か、捏造された晩年という事態への感慨に捉われざるをえない。

  《挽歌たれか書きいん夜ぞレグホンの白が記憶を蹴ちらかすのみ》

 だから、寺山という資質にとってその射呈できる歴史観が、すべて「演劇的」なるものに空間化(記号化)されうるものだったことを、わたしは批判するべきだろうか。それはあまりにも空しい。
 歴史から学ぶことのなかった歴史批判者に対して、そのナルシズムを指摘してみても、うるところは何もあるまい。
 遺作という限定でのみこの映画に対さねばならない無残がわたしのうちに降りてくる。

「ミュージック・マガジン」1984年9月号


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