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矢作俊彦『AGAIN』 [AtBL再録1]

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 予想はついていたことだが、矢作(俊彦)節に付き合わされた結果だった。
 もちろん見ることを期待したしそれが的中したところの渡り鳥シリーズや『霧笛が俺を呼んでいる』の別れ波止場のラスト・シーンから、かなりの部分を抜粋されていた舛田利雄作品『泥だらけの純情』や『赤いハンカチ』そしてとりわけ『紅の流れ星』――あの『望郷』と『勝手にしやがれ』を勝手気ままに引用した快作――まで、そして浅丘ルリ子を中心に配されたかつての(大根と呼ぶ他はない)アクション・スターたちの活躍を通して、観客が立ち会わされていたのは、やはり矢作の『死ぬには手頃な日』に代表されるようなノスタルジック・ロマンチシズムの作品世界だったことである。

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 矢作と共通に、日活無国籍アクションを糧として育った年代の者にとっては、また別の忘れ得ないシーンやセリフがまだまだ幾つも湧き出して来る筈だが、ここに提出された矢作版アンソロジーに対してわだかまる不満はいかんともしがたいにしても、それを言い立てることも公平を欠くような気分になる。
 というのも、例えば『オキナワの少年』という一種の告発映画を例にとってみても、そこで一等感動的だった『ギターを持った渡り鳥』を見終った少年時代の主人公が小林旭の身振りで映画館から出て来るシーンに思わず涙を落してしまう体験とか、一昔前にシネマ・フリークの間で流行した予告篇(ばかりの連続上映)大会に病みつきに陶酔してしまった体験とかが、『アゲイン』のモチーフになっていることは疑うべくもないにしても、そこに決定版名場面選集の類いを夢想するのは少しばかり無理なのかもしれない。
 おそらく人の数だけ選択は存在するだろうから。


 人はまた、浅草や新世界や新開地の小屋であの映画たちの現物に出会う機会ももつわけだし、更には追憶の彼方にすでに神格化されてしまっている極く私的な名場面を抱き続けることもできるのである。そして《あの頃は悪夢でさえバラの花の臭いがした》《女たちはとびきり美しく男たちはめっぼう強かった》し、とにもかくにも、映画は映画だったのだ。
 別れ波出場は涙にけぶっても一時代は過ぎ去ってしまったことであるし、一度すでに口にしたさよならの苦しくやるせない味を、もう一度リピートすることが『アゲイン』の意味であるのだろうけれど――。

「ミュージック・マガジン」1984年4月号


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