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突然、ゴジラのように [AtBL再録1]

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 今日は「ゴジラ1983・復活フェスティバル」の会場にマイクを持ち込んで街の声を集めてみたいと思います。
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 「ゴジラ元年。生まれる前ね。ピンとこないね」と先ずミスターY・Aの声。
 「怪獣世代論知ってますか。ゲームね。一瞬ニラミ合うわけね。そいでジャンケンホイ、アッチ向いてホイみたいな感じで、自分の知ってる怪獣の名前いうわけ。そいで最新に近い怪獣をいった方が、もう青春ビッグウェンズデイね、若さで勝負ウッシッシー、すなわち一本取るわけ。敗けた方は、ひたすら惨め、もうワシらの時代は終った引退だな、と落ち込んじゃうわけね。ゴジラ、キングコングこれ論外ね。それしか知らない人、それこそ怪獣じゃない」

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 「帰ってきたゴジラ。とにかく原点。みんなSF少年だったのです」とウルトラマンの父的中年ボーヤ。
 「淋しなつかしいあの頃です。小学生だった僕らは国産SF特撮映画を見るために朝早くから列をつくって並んだものです。戦後ヒューマニズムのシンボルでもあるような鉄腕アトムやその変種の鉄人28号に先行されて夢の英雄が映画の領域に登場したのです。怪獣ブームのルーツには必ずゴジラがいます。ともかく国産なのでした。ゴジラ、モスラ、ラドンたちの活躍はそのまま、かれらの土壌がいわゆる高度成長期に入って国力を増強してゆくことを明確に反映しています。しかし夢だったんです。あの頃は二度と帰ってこない。円谷英二の名は手塚治虫と共に栄光のSF時代黎明期を代表します。ゴジラは復興の希望でもあったのです。今ゴジラ・リバイバルは偶然ではありません。高橋伴明か『ザ・力道山』をつくり、矢作俊彦が日活無国籍アクションに限りないオマージュを棒げる『アゲイン』をつくる。そういう一貫した……」

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 「黙れ団塊。貴様ら、ウンコのカタマリ世代」とどこか官僚タイプの熟年紳士。
 「五〇年代も半ばだった。たかが怪獣一匹に殺到する貴様らガキ共の醜怪な塊は、こういう奴らに来たるべき日本社会の中枢を構成させてはならないという使命感をわたしに与えたのだ。あの暗いモノトーンの反戦映画『ゴジラ』(製作田中友幸、特撮円谷英二、監督本多猪四郎、音楽伊福部昭)の初心とペシミズムは戦争を知らぬガキ共に理解できるか。何が《とにかく死ぬのヤだもんね》だ! 死ね死ね。あの暗く哀切な山田風太郎の大恋愛小説『甲賀忍法帖』もシリーズを重ねるごとにトーナメント・スポーツの小説へと変貌した。すべからくそのように怪獣映画も鼻たれガキのペットにおちた。これが時代の裏切りだ。何がナショナリズムぞ。ただのぬいぐるみ格闘もどき映画なのだ。テレビ向きにしか使いものにならん。日本の特撮映画は技術においてもヒューマニティにおいても遂にアメリカを抜くことはできたか。否だ。それがついこないだあの『E.T.』で完膚なきまでに証明されたばかりでは……」

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 「黙れ、暗い谷間。五〇年代の青春」とゴジラバッジを付けたもう一人の中年ボーヤ。
 「きみのET放題もそこまでだよ。思い入れを語ることではなくて、諸君、今は怪獣社会学を考えてみようではないか。忍に一字の一直線、やくざ映画のヒーローが必ずラスト十数分前には決起するように、怪獣映画の主人公も、今出るぞ今出るぞの期待に固唾をのまれて十数分、ついに出た、その立ち現われの一瞬が最高なのです。《ゴジラはつ・お・い!》 見終って街に出てゆく観客の歩き方こそ最も正直な感応を示しています。かれらは一歩一歩もうイマジネーションの世界にあってドスンバリバリと破壊して歩いているのです。破壊とパニックこそ観客の示す根源的な二分裂です。かれらはついさっき満員の映画館で席を確保するために愚かにも示したパニック状態を、画面において怪獣にジュウリンされる気の毒な大衆という形で、さながらVTR方式に見るのですが、そこに自分の姿など見い出しません、勿論。火砲器にも敗けず、高圧電流にも敗けず、自らの思うままにブッコワシてまわる怪獣こそ大衆の夢なのです。ゴジラのごとく生きるものとは……」

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 「私もまたゴジラのごとく生きてまいりました。ただし祈りのように、この長い戦後を」と初老のくたびれきった男。
 「ゴジラの原作者であります香山滋にしましても、ラドンの黒沼健、モスラの中村真一郎・福永武彦・堀田善衛にしましても、いわば原水爆実験によって蘇ってしまった原始怪獣=原子怪獣に想像力の焦点をあてたわけであります。三十年前の『ゴジラ』を今日の反戦反核映画の原点と捉えることも可能でありましょう。ですが戦後十年復興著しい東京の街路が踏みつぶされる図により若い人たちは何を見るのでありましょうか。わたしの胸には原民喜の詩句《水ヲ下サイ/アア 水ヲ下サイ/ノマシテ下サイ》がよぎったことを告白せねばなりますまい。わたしにとってはこの映画は、前年の日教組自主制作・関川秀雄監督『ひろしま』と対になって想定される反核メッセージ映画なのであります。最も雄弁にこの伝達を語るのは良心的生物学者に扮する志村喬の演技であります。わたしは何もラストの《あのゴジラが最後の一匹だとは思えない。水爆実験が続けられる限り、世界のどこかにあの同類が必ず出現してくるだろう》というセリフを何事かの訴えに変えたいわけではありませぬ。黒沢作品の『生きる』『七人の侍』に続く出演のかれの表情です。ひたすら怪獣パニックと退治法に終始する世論に対してかれの見せる静かな怒りと虚脱の表情に無言の訴えを……」

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 「ギョエーッ」その孫らしい、口から放射熱線を吐いているつもりの幼児。「バルタン星人。サンバルカン……」

 どうも皆さん興奮状態で、突然ゴジラのように決起して意見を述べずにはおれないようですが、残念ながら時間がやってまいりました。
 ところで――。

 きみもゴジラを見たか。

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「図書新聞」1983年9月10日号


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