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フランソワーズ・アルヌール『女猫』 [映画VIDEO日誌2010-12]

2011.05.03 フランソワーズ・アルヌール『女猫』

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05.07 『3人のエンジェル』
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サミュエル・フラー『東京暗黒街 竹の家』 [映画VIDEO日誌2010-12]

2011.04.15 ジャン・ルノアール『浜辺の女』
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04.21 サミュエル・フラー『東京暗黒街 竹の家』
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04.30 ロバート・モンゴメリー『湖中の女』
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バーベット・シュローダー『陰獣』 [映画VIDEO日誌2010-12]

2011.02.26 バーベット・シュローダー『陰獣』
 
大乱歩の映画化、いちおう。
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02.27 ジョニー・トー『スリ』
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02.28 デヴィッド・クローネンバーグ『イースタン・プロミス』

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ロバート・アルトマン大会 [映画VIDEO日誌2010-12]

2011.02.16 ロバート・アルトマン『今宵、フィッツジェラルド劇場で』
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02.17 『ゴスフォード・パーク』
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02.18 『ザ・プレイヤー』
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02.19 『ウェディング』
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 昔なら「名画座」通いの番組だが。
 2008年あたりから、レンタル店に行く習慣もなくなり、もっぱらネット宅配で用が足りるように。


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『闇の列車 光の旅』 [映画VIDEO日誌2010-12]

2011.02.14 『闇の列車 光の旅』
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02.09 『ヤギと男と男と壁と』
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『キラー・インサイド・ミー』 [映画VIDEO日誌2010-12]

2011.02.10  試写

 「THE KILLER INSIDE ME」を観てきた。
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 いや、たしかに衝撃のラストであった。
 映像化不可能とか何とか。
 「キラー・インサイド」が「キラー・アウトサイド」になって、映像化されると、ああなるんだろう。
 ああなるしかないんだろうな。
 原作テキストにも、たしかに「爆発する」という語句はあったし。
 おれたちみんな。おれたちみんな。
 考えてみれば、アレは一種の幻想シーンだと受け取っていたのかもしれない。
 そのような読み取りは特殊だったのか。
 ともかく、 BIG ジム・トンプソンは、見事に転生してきた。


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 「THE KILLER INSIDE ME」は、30年前にも、いちど映画化されている。
 バート・ケネディ監督、スティシー・キーチ主演。

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ジャン・ギャバン『霧の波止場』  [映画VIDEO日誌2010-12]

2011.02.04 ジャン・ギャバン『霧の波止場』 
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02.05 『港のマリー』
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『殺人の追憶』『光州5.18』『DMZ 非武装地帯』 [映画VIDEO日誌2010-12]

2011.01.07 『殺人の追憶』
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01.08 『光州5.18』
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01.09 『DMZ 非武装地帯 追憶の三十八度線』
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アンジェイ・ワイダ『カティンの森』 [映画VIDEO日誌2010-12]

2010.09.12 『パブリック・エネミーズ』
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2010.09.13 アンジェイ・ワイダ『カティンの森』
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フルタイム・ジョニー・トー [映画VIDEO日誌2010-12]

ジョニー・トー

2010.08.29 『暗戦 デッドエンド』 
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      『暗戦 リターンズ』
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      『ヒーロー・ネバー・ダイ』
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2010.09.05 『フルタイム・キラー』
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2010.12.20 『エレクション 黑社會』
   12.21 『エレクション 死の報復』 
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『ミレニアム』 [映画VIDEO日誌2010-12]

2010.07.10 『ミレニアム』
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2010.08.13 『ノトーリアスB.I.G.』
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『バニシング・ポイント』 [映画VIDEO日誌2010-12]

2010.01.02   不死の映画館①
 首都の外れの、観光でにぎわう古寺のすぐ近く。
 さる公立学校が管理する農業用地の広大な敷地の片隅にその映画館はある。
 常設館ではないから、それらしき看板などいっさいない。
 上映する番組のスケジュールだって案内があったためしがない。
 けれども、そこへ行けば必ず、他では観ることのできない作品と出会えるはずだ。
 こんな贅沢なシアターは当節、ちょっと見つからない。
 地図にも出ていないし、ファンたちの話題にのぼったこともないだろう。
 厩舎にしか見えないから、たいていの人は気づかずにとおり過ぎていく。
 ある時は、エリッヒ・フォン・シュトロハイム『グリード』の四時間ヴァージョンを観たし、
また、ある時は、ライナー・ウェルナー・ファスビンダー『ベルリン・アレクサンダー広場』を十四話連続で鑑賞した。
 フィルムがいつも回っている場所。
 それが不死の映画館だ。
 これから綴るのは、そこで観た珍奇な作品についての感想だ。


 第一回の鑑賞記は、『バニシング・ポイント』
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 なんだ、珍しくもないといわれそうな70年代的定番である。
 DVDだっていくらでも出回っている。……んだが。
 さて、お立ち合い。どうもこちらで公開されたのは99分ヴァージョンのみらしい。
 例によってスペシャル・エディションのディスクも発売されているが、特典映像の付録がごっちゃりとついても、本編は、やっぱり99分のようだ。
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 ところが、ディレクターズ・カットとか大げさなことはいわなくても、『バニシング・ポイント』には、106分ヴァージョンがある。
 どこが違うかというと――。
 シャーロット・ランプリングが出ているか、いないかの違いなんである。
 IMDbで調べると、彼女はヒッチハイカーの役で、「Scene Deleted」となっている。
 カットされてしまったのだ。それゆえ allcinema ONLINE などでは、出演作リストに入っていない。
 けれども「まぼろし」の出演シーンは、たしかに存在しているのだ。
 一時間四十六分の映画の、一時間三十分あたり。そろそろ大詰めに近いところ。
 ヒーローが道の傍で拾うスウィート・ヒッチハイカー
 ランプリングは「あんたの名前はコワルスキーなのね」とかの科白。
 わずか五、六分の車内シーン、顔のクローズアップのみ。
 このエピソードは他の部分とつながりがないので、カットしてしまっても話は通るわけだ。
 ヒーローが爆発する直前に垣間見た幻影のようにも受け取れるシーンなのだ。
 じっさい、タイトルバックに「co-starring CHARLOTTE RAMPLING」の文字を観た時、わが目を疑ってしまった。
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 これもまた、忘却の彼方に置き忘れてきた事柄のひとつなのかと。
 で、ひたすら彼女の登場を期待しつつ観た。
 しかし何となく憶えのある映像の連続のうち、いくら待っても彼女は現われない。
 あきらめかけた。そして、映画がほとんどもう終わりかけてきた時間になっての登場だった。
 初めて観るシーンだ。
 納得した。
 なるほど、流れが、ここだけ異なっている。一直線の破滅への道が、ここでゆったりと停滞している。
 編集的にはカットして正解なんだが。やはり短縮ヴァージョンで満足していたのは不幸であった。

 夢のなかのような映画館で観るフィルムは不死なのだ。

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『夜の人々 They Live by Night』 [映画VIDEO日誌2010-12]

2010.01.15

 『夜の人々 They Live by Night』について、大先達のK氏からいろいろと教えていただいた。
 ニコラス・レイのデビュー作にして最高傑作とされる名画。
 だが、じつは、エドワード・アンダーソンの原作のノワール性をハリウッド風に脱色した甘いメロドラマだったということなど。
 レイの恨みがましい自伝『私は邪魔された』はむかし読んだけれど、そのあたりは記憶に残っていない。
 再チェックの必要あり。
100115.jpg この映画は、本邦初公開の88年に観ているんだが、どこの映画館だったかはっきり憶えていない。画像は前売チケット。
 いくらこれを見返してもムニャムニャムニャである。たしか三百人劇場のような気がするけれど、確信はない。
 内容のほうも、何かフリッツ・ラング『暗黒街の弾痕 You only Live Once』と印象がごっちゃになっていて頼りない。
 まあ、要するに、そういったようなことばっかりなんで。

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ニコラス・レイ『夜の人々』 [映画VIDEO日誌2007-09]

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ギャング・イン・ダーク・ブルー [映画VIDEO日誌2007-09]

2009.09.15   ギャング・イン・ダーク・ブルー
 観落としていたらしい『ダーク・スティール Dark Blue』(02 未公開)をレンタルしてきたところ、途中で、どう考えてもよく似た話があったなと気づき、一度観たのを忘れ果てまた借りてきてしまったかと、焦った。だが、何のことはない。
 これは『フェイク・シティ Street Kings』(08)と同じ、ジェイムズ・エルロイの原作。
 その焼き直し、じゃなかった。
 順番からいえば、『フェイク…』のほうが『ダーク…』の焼き直しなんであった。
 リメイクとも少し違う。
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 ストーリーを追っかけるアングルが変わるだけで、同じ話を使い回したというのか。
 つまり、警察幹部が自分の情報屋を使ってワルサをして大金を着服、おまけに別の犯人をデッチアゲ、部下に射殺させ、証拠の隠滅をはかる。
 あまりのやりたい放題に、悪事の片棒をかついでいたヒーローがついに正義にメザメルって展開。

 いかにも「ギャング・イン・ブルー」(警官のこと)の列伝作者エルロイらしい話だが。

 これの原作はあったかどうか。調べるのが面倒なので、保留にする。
 『L.A.コンフィデンシャル』のメイン・ストーリーもそうだったかと思い出す。
 しかしこの手の話、骨組だけ取り出すと、殺伐としていて面白味に欠ける。
 上層部の腐敗と裏切りというトーンだけが浮き上がり、どこまでいっても凡庸で陳腐だ。
 エルロイ印のえげつない人種差別主義は映画的には中和するしかないんだろうが、そうすると、ただの陰惨なワルデコものに終わってしまう。醜悪さだけは、まさにエルロイ的だけど。
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 その点、『ダーク…』と『フェイク…』は、どっちもどっちもだ。
 片方がカート・ラッセルヴィング・レイムズ、片方がキアヌ・リーヴスフォレスト・ウィテカーと、白人・黒人のコンビでバランスを取っている(あとの配役は、わりとテキトー)ところも相似する。
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 そのはずで、『フェイク…』の監督は、『ダーク…』の脚本家のデヴィッド・エアー。
 リストを調べたら、『トレーニング・デイ』(01 これは傑作)の脚本、『バッドタイム』(05 製作・脚本・監督第一作 これは退屈)などがあった。
 だから『フェイク…』は一種の再戦、エルロイ色から離れようとする試みだろう。
 大いに結構。けれど、肝腎の役者がねえ……。
 『マトリックス』の人はキレイすぎるし、ウィテカーも、適当にナガシているし。
 さて、『ダーク・スティール』の観どころは、これも際物みたいなもんだが、ロス暴動をストーリーの背景に組みこんだこと。
 ロドニー・キング事件の判決を前にした数日の事件。
 暴行者の無罪判決が出て、暴動が起こる。
 ヒーローが容疑者を追いつめる現場が震源地のサウス・セントラルだった。
 そこで、カート・ラッセルが言う。おれたちみたいなクソッタレ刑事がこの街を廃墟にする元凶なんだ、とか。
 まあ、悪人が中途半端な正義漢になって落着、という定石にのっとったわけだ。
 ジョゼフ・ウォンボーにしろ、エルロイにしろ、都市暴動は、警察小説にとって避けて通ることのできないテーマであるしかなかった。
 映画にすればこの程度。とはいえ、『ダーク・スティール』は記憶に値する作品ではあった。
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ジョゼ・ジョヴァンニ『おとしまえをつけろ』 [映画VIDEO日誌2007-09]

2009.09.01  友よ憐憫なくして

 あまり期待しないで借りてきた『マルセイユの決着』は、ちょっとした収穫。
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 ジャン・ピエール・メルヴィル『ギャング』のリメイク。
 原作はジョゼ・ジョヴァンニ『おとしまえをつけろ』
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 あらためてメルヴィルの『ギャング』を観直してみると、原作に忠実であったことに驚く。
 さらにリメイク版がオリジナルに忠実であることに、もっと驚いた。
 どちらも、映画としてえらく長いのだ。
 メルヴィル作品はジョヴァンニの最盛期でもあったから、原作のエピソードをあまり省略していないことの説明もつく。
 リメイク版はオリジナルより十三分長いので、ラスト・シーンに原作の情感を復活させるなど、あらためて原作者へのリスペクトを明確にしているのだ。
 (じつは、金塊輸送車襲撃とか、原作もオリジナル版も改変してしまった部分があるのだけれど、そこにふれると長くなるので、省略)。
 ただし、ラストの銃撃戦はいただけない。
 どうにかしてくれって気分。銃弾や血糊を派手にしてもそれはそれだけ、という空しい見本。
 これは、要するに、ヒーローを演じるリノ・ヴァンチュラダニエル・オートゥイユの、ノワール俳優としての格の違いでもある。元も子もない言い方だし、そんなことは観る前からわかってるんだが。
 死に際の美学とはまったく無縁の、恨みっぽい目つきでもたもたと何発も撃たれるオートゥイユを観さされると、これ、ひょっとして、ジョヴァンニへの冒涜じゃねえのか、といいたくなった。
 友よ、憐憫なくしてなぜ生きられよう。
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『シティ・オブ・メン』『いのちの戦場』『シャイン・ア・ライト』 [映画VIDEO日誌2007-09]

2009.02.13 『シティ・オブ・メン』
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2009.03.05 『いのちの戦場』
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2009.08.04 『シャイン・ア・ライト』
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死にざまを見ろ なんて [映画VIDEO日誌2007-09]

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2009.03.01    死にざまを見ろ なんて 

ラオール・ウォルシュジェームズ・キャグニー『白熱』

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B級とは何だろう [映画VIDEO日誌2007-09]

2009.02.15    

 吉田広明『B級ノワール論 ハリウッド転換期の巨匠たち』を読む。
 B級映画へのかなり厳密な定義がここにはある。
 主要に論じられる作家は、02c.jpg
 ジョゼフ・H・ルイス
 アンソニー・マン
 リチャード・フライシャー
 後の二者の作品なら知っているが、ルイスの映画は観たことがなかった。
 ルイスのキャリアをみると、TV版『ライフルマン』の何作かで監督作は終わっている。
 六〇年代初頭だから、当方としては「年代的に観る機会を持たなかった」作家に属している。
 マンの『ララミーから来た男』や『ウィンチェスター銃73』は子供のころ観ているけれど、何しろ記憶ははかない。
 『エル・シド』や『ローマ帝国の滅亡』と、史劇は部分的に少し憶えている。後者にはずいぶんがっかりしたものだ。
 フライシャーでは、『ヴァイキング』(これはリバイバル上映だったはず)や『バラバ』。
 やはり史劇の監督だというイメージが最初にあった。

 ところが、この本『B級ノワール論』によれば、今あげたタイトルは、西部劇以外は各作家のB級時代から外れる、ということだ。
 この本で役に立った事柄、もしくは論調への共感や疑問点など、評価にまつわることはさておき、映画の観方(その様態)についていろいろ考えさせられた。
 この本において、論述対象映画作品は、スクリーンに映されたものではなく、すべて複製データの形態だったようだ。
 作品を分析的に観るために一時停止したり、部分的に繰り返したりする鑑賞法、また、当該作品の製作に関する補助情報への広範なリサーチ、などの作業は、論考のための基礎的な過程として欠かせないものだ。
 ここでは、書物の個人全集を資料として読みこむように、映画作家の全作品を(外国映画であっても)すべて観ておくことが当然の前提になっている。
 外国映画の場合、従来は制約が大きかったにしろ、今では作品をデータとして取得することがまったく不可能ではない状況になっている。その意味では、この本には研究者に課される水準を高度に設定したといえるだろう。
 ことの是非はともかく。

 DVDソフトのリストに希少な作品が見つけられることはたしかだし、インターネットによってデータを渉猟・鑑賞する方法も選べるだろう。
 映画はもともと「複製技術時代の芸術」の典型であるように受け取られてきた。
 ところが、そうした理解は少しも正確ではなかった。そのことが明瞭になってきているのではないか。
 かつては、映画は映画館で観る以外の方法では観ることができなかった。
 つまり映画館こそが映画にまつわるオーラだった。映画館と映画とは一体だった。
 そこへ出かけることは、映画作品を観るという直接の行為ときってもきれない固有の体験だった。
 一期一会。それだけスクリーンと真剣に向き合った、ということになる。

 今日、デジタル化された映像はたんなるデータだ。
 DVDにシーン・セレクションがあるのは当然だし、コンピュータでプレーヤー・ソフトを使ってあるシーンの停止画像をキャプチャーすることも自由だ。
 さまざまの動画フォーマットの変換ができるなら、iPodでの歩きながらの映画鑑賞も可能なのだ。
 デジタル・データだから、コピペもたやすい。
 こうしたモノがオーラを付属させた鑑賞よりも、研究の材料にふさわしいのは自明のことだ。
 映画の「複製技術性」は、デジタル・データの時代に極まったといえる。
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 個人的にと限定したほうがいいかもしれないが、B級映画というジャンルを、この本のような厳密な規定とはまるで別個に、かなりアバウトに理解していた。
 それらは個別の作品であるよりも、むしろある時期の生活習慣とともにあった記憶の欠片だったような気もする。
 映画館に必ず何週おき(毎週だったかも)に通うことの副産物。
 作品のタイトル、作家はもとより、主演俳優にいたるまで、憶えていることは稀だ。
 だからDVDボックスなどで復刻される作品群に、その瞬間だけ「喪われた時を求めて」を呼び起こされて気恥ずかしくなることが、たびたびある。
 けれども、映画研究というジャンルは、かつて映画が帯びていた魔力からかぎりなく離れていくところにしか実現しないんだろうな。

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コバーンasコンチネンタル・オプ [映画VIDEO日誌2007-09]

2009.02.01   コバーンasコンチネンタル・オプ

 『デイン家の呪い』VHSを見つけてきて、初めて観る。
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 もちろん期待はしなかったけれど、やはりパッとしないところは、原作とどっこいどっこい。
 探偵のナレーションがついて、話の筋道はわかりやすくはなっている。
 だがそれだけである。
 ジェームズ・コバーンのコンチネンタル・オプ役に違和感がないかといえば、それはあるだろう。
 背の低い小太りの男に長身痩躯の役者が扮するのだから。
 けれど、映画では名前も変えてあるし、別物と思えばようろう。
 最近では、サミュエル・L・ジャクスンの「オプ」だってあったわけだし。
 主演が適役であるのかないのか、それ以前の問題のようだ。

 映画『デイン家の呪い』は、コバーンの他はさっぱり。
 未公開・ビデオ発売のみで消えてしまうのも仕方なしか。
 というのは、観る前からほぼだいたい予想のついたことで。とやかく文句をつけてもしょうがない。
 ただただコバーンの出るハメット映画を観たかっただけ。そこに尽きる。
 なぜかというと、ヴェンダース映画『ハメット』を観て以来、この主役にほんとに相応しいのはコバーンだけだろう、と想いつづけてきたせいかも。
 順序は逆になっている。


 たとえこの『デイン家の呪い』が、当時、すんなり公開されていたとしても、観に行かなかったんじゃないかな。
 ジョー・ゴアズ『ハメット』が翻訳されたのは、かなり後のことで、それを原作に使った奇妙なヨーロッパ映画『ハメット』の公開に合わせたわけだ。
 それ以前にも、リリアン・ヘルマン原作の『ジュリア ――ペンティメント』で、ジェイソン・ロバーツ演じるハメットが登場してはいた。
 しかし、あれは、インテリくさいハメットであり、要するに、書けなくなってからの「晩年の」イメージに沿ったものだ。
 つまりピンカートン探偵社時代のハメットの像はゴアズの小説『ハメット』に尽きる。
 ヴェンダースによる映画『ハメット』は原作とは似ても似つかぬシロモノだが、フレデリック・フォレスト演じるハメットだけは、奇跡的に探偵ハメットを彷彿させるのだ。
 フォレストの背丈がもう少し高ければね、という注文はつくけれど。
 と、そんな回路を経て、コバーン=ハメットのイメージはどんどん勝手に熟成されていったらしい。
 それが『デイン家の呪い』に逆流したんだが。


2009.11.18 

 このあいだ「コバーン as コンチネンタル・オプ」のことなんか書いておいたが、当の『デイン家の呪い』の新訳が登場した。
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 うちにある HPB の奥付は、75年になっているので、ともかく画期的な数十年ぶりの新装である。
 新発見はあるかな、と期待しよう。
 わたしがコバーン主演映画の VHS を所持しているくらいだから、モノは珍しくもないと思っていたところ、訳者後書によると、意外なことに、小鷹さんはまだ未見なのだという。
 まあ、有り難がるほど大した作品ではないんだけれど。
 やはり、ヒロイン役の女優次第のフィルムだったというか。
 78年だから、フェイ・ダナウェイは無理でも、キャンディス・バーゲンとか……。


 そういえば、『北米探偵小説論』で、この作品について何を書いていたのだっけ。
 気になった。
 自分の本を巻末索引をたよりに調べるってのもヘンな話だが、書いたことをかいもく憶えていないのだから仕方がない。
 しかし、言及は、なんと一箇所しかなかった。
 草稿段階では、たしかに、少しは書いていたはずなんだが、最終的には削ってしまったようだ。
 それほど面白くなかったんだろう。
 『デイン家の呪い』がではなく、それについて自分の書いた内容が……。
 それもこれも、要するに、どうでもいいことだな。

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ニキータ・ミハルコフ『12人の怒れる男』 [映画VIDEO日誌2007-09]

2009.01.01    ミハルコフ再見

 ニキータ・ミハルコフ『光と影のバラード』を再見。
 というのも『12人の怒れる男』に、すっかりまいってしまったから。
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 二時間四七分の大作なので、退屈覚悟で観に行ったところ、有無をいわさぬ演出力に、ただただ組み伏せられてしまった。
 凄いな。こんなにも剛毅な作家だったのか。
 たんなる叙情派のイメージが強く、近ごろはパスしつづけていた(だれか他の人のことだったらしいが、プーチン政権の提灯持ちになったという情報にも惑わされた)けれど、これは突出している。
 で、観なおしたいと思ったのは、初期のアクション『光と影のバラード』だった。
 ミハルコフ30歳の作品。
 記憶では、マーティン・スコセッシの最高作(?)『明日に処刑を…… Boxcar Bartha』に重なる郷愁のような甘さに満ちていた。
 どちらも、観なおしてみて、そんなに外れていないと納得。
 ソ連製(ブレジネフ時代)西部劇はいくつかあったが、その中でもとりわけニューシネマ風の色合いが濃い。
 再見は英語字幕版だった。英語タイトルは、「At Home Among Stranger」。
 この言葉は、『12人の怒れる男』で、粗暴な陪審員3が「モスクワの街はエイリアン(外国人)だらけで、おれのいる場所もない」と叫ぶ場面をまっすぐ想起させる。
 やはり『12人の怒れる男』で、カフカス出身の陪審員7が、ピロスマニやパラジャーノフについて誇らかに語るシーンがあった。
 思い出せば、『光と影のバラード』を最初に東京で観たのは、現代ソビエト映画特集上映。
 ペレストロイカ前夜というか、多民族国家の現状をエネルギッシュに映しだす作品がずらっと並んでいた。
 画家の生涯を描いた『ピロスマニ』もその一本。
 パラジャーノフ映画は、もう少し後に一般公開された。
 『光と影のバラード』を観なおして、とくにその前半に『12人の怒れる男』に通じるカメラ構図があることに気づいた。
 スタイルは貫かれている。
 オリジナルを超えたリメイク版。
 といったような出来合いの評価ではとてもおさまるものではない。
 すべてが圧倒的なのだが、とりわけラストにつけ加えられた「一章」が痛烈だ。
 「一章」と特化するには理由がある。
 この部分について具体的に明かしすぎるのは、ルールに反するだろうから、ぼかしておく。
 そこにもやはり『光と影のバラード』の結末に通じる情念があった、と書くにとどめておこう。
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 ラストの、小鳥が外に飛び立っていくシーンはじつに感動的だ。
 ドラマの節目節目に効果的に挟まれた小鳥のショット。
 その総仕上げとして、密閉されていた陪審員の合議室から飛び立っていく。
 合議室といっても、体育館なのだ。
 ロシア式手抜きを示すパイプ工事の跡も寒々しい空間。
 すべてが終わった後、その部屋の窓が開け放たれ、吹雪が吹きこんでくるのと入れ替わりに、小鳥が外界をめざして飛んで行く。
 ここでこう決めるだろうと予想のつく正攻法の演出だ。
 そこは、わかっていても涙を誘われる、堂々たるエンドマークなのだ。
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 「すべてが終わった後」といったけれど、映画のなかのドラマはまだ終わっていない。
 ミハルコフ版がオリジナルを凌駕しているのは、まさにこの「未完結」という局面なのだが、作者はあえてカタルシスたっぷりの見せ場を最後に置きたかったのだろう。
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 こうなると、子供のころに観たオリジナル版(シドニー・ルメット)を観かえしたくなる。
 かくも見事に逆転させられた「アメリカ民主主義万歳」の讃歌。
 その元ヴァージョンが気になってくるからだ。しかし、どうも。気になるだけで。
 リー・J・コッブエド・ベグリーの憎々しい悪役ぶりは懐かしいけれど、ヘンリー・フォンダの気取ったヒーローなんか何度も観るもんじゃないだろ。
 ってことで。

 『光と影のバラード』再見に大満足。

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ペキンパー初出演作 [映画VIDEO日誌2007-09]

2008.12.15   ペキンパー初出演作

 モンテ・ヘルマン『Chaina9,Liberty37』を偶然に観た。
 別タイトル『Amore,Piombo e Furore』 『Love,Bullet and Frenzy』
 ウォーレン・オーツ主演だったから、期待はしなかったが。
 やはり、最盛期から何重にも取り残されたマカロニ・ウェスタン。
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 俳優サム・ペキンパーのイントロデューシングのみがお目当てだったから、まあ、よかろう。
 といってもSP師の出番はほんの少し。
 この映画出演のために、ペキンパーは、編集中だった『コンボイ』の作業を人にまかせて、スケジュールをつくったという。  わざわざヨーロッパまで飛んだ値打ちがあったのかどうか。
 人口132人のチャイナという町。中国移民が多いのか。
 町の広場に絞首台が作られ、二人が吊るされる。
 この町の話かと思えば、そうでもない。
 途中、銃撃戦も数回あるし、ラストには一対一の決闘も用意されている。
 いちおうの見せ場は備わっているんだが。
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 荒野の真ん中に突如、サーカスの見世物テントが出現するとか。
 カルトなこだわりは色濃い。
 全体としては、遅れてきた西部劇、というしかない。
 その意味では、いかにもペキンパーにふさわしい暮色なのだ。
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 ペキンパーには、『ジュニア・ボナー』『パット・ギャレット』『コンボイ』と自作への出演はあり、また、フィルモグラフィにはもっと以前の出演歴も記されているけれど、これをもって出演代表作とすべきか。
 この当時、50を少し出た年齢のはずながら、ずいぶんと老けている。
 『コンボイ』を封切りで観て失望した頃、これを観なくて良かったと思う。



 ジャック・ロンドン『どん底の人びと』
 百年前の貧民街の探訪記。
 めぐりめぐっての現代性に、息をのむ。
 人を惨めな思いに追い込むのはむしろ、惨めに「生きる」ことなのである。つらい労働をしても一切報われずにいること、心が疲れ擦り切れているのに、孤独なまま連帯を断たれ、今の世界をあまねく支配している冷酷な「自由放任」の原理に包囲されること、これが人を惨めにするのだ。
 これはロンドンが8章冒頭に引用しているカーライルの文章(行方昭夫訳)。
 世界はまったく進歩していない。

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マカロニ不吉 [映画VIDEO日誌2007-09]

2008.12.01

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セルジオ・コルブッチ『殺しが静かにやって来る』 [映画VIDEO日誌2007-09]

2008.11.15  マカロニ不吉

 このところ、観ているのは、旧作のマカロニ・ウェスタンばかり。
 それが、おおかた、初めて観るもの。
 とにかく全盛期だった頃には、嫌っていたから。時代にまつわる懐かしさというものは、まったくない。
 なせ今どきになって〈学習〉しだしたかというと……。
 話が長くなるので、またべつの機会にでも。
 ……いや、とくに語るほどの仔細はなかったりして。
 きっかけの一つは、セルジオ・コルブッチ『殺しが静かにやって来る』
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 これには、ぶったまげた。
 こないだ観た新作の、ピアース・ブロスナン、リーアム・ニーセンの『セラフィム・フォールズ』が雪原西部劇だったが、それは前半だけで、後半は荒地に移動する。
 こちらは、屋内シーン以外はもう、全篇、雪、雪、雪。
 白いキャンパスにぶちまけられる虐殺の血のりも毒々しい。
 この〈様式美〉。静謐な銀世界に銃声と血潮と。
 イーストマン・カラーのせいなのか、特殊効果のせいなのか、妙に透明度のある朱色の血なのだ。
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 ジャン・ルイ・トランティニアンクラウス・キンスキーもそこそこ。
 けれど、主役はスターではない。
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 吹雪舞う白い荒野にぽつんと現われる馬上のガンマン。
 待ち伏せ。手練の抜き撃ちはモーゼル・マシン・ピストル。
 またたく間に三人を倒し、怖れをなして投降した最後の一人の右手を撃ち抜く。
 助からないと知った相手が孔のあいた手で拳銃をかまえるのをゆっくりと見定めて撃ち殺す。
 灰色の空に不吉な鳥の群れが横切っていく。
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 西部劇の常道をきちんと踏まえているようでいて、かなり意識的にそれを外している。
 雪の広野、フランス人の俳優がドイツ製の拳銃を駆使する。
 このごった煮の無国籍性。
 そして無抵抗の敵の掌を撃ち抜くという残酷さ。
 これは、全篇に漂う暴力と虐殺の無意味性を表わすのみでなく、結末(驚愕のエンディング)の布石にもなっている。
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 とりわけラストの大虐殺シーンがそうだが、この映画で描かれる殺戮には理由がない。
 ただ見せ場として臆面もなく用意されているのみだ。
 怪優キンスキーには、いかにもおあつらえの場面に見えるにしても。

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 共食いするバウンティ・ハンターたちの汚さを描いて、『ワイルドバンチ』に先んじている。
 こうした作品を、同時代にいながら観落としていたのは何故か。
 考えてみたって仕方がない。
 あの頃に観ないで正解だった、という気も少なからずある。
 それを穿っていくと、また長くなるので……。00k.jpg

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ボブ・ディラン『アイム・ノット・ゼア』 [映画VIDEO日誌2007-09]

2008.10.04 フレッド・ジンネマン『日曜日には鼠を殺せ』
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2008.11.30 ボブ・ディラン『アイム・ノット・ゼア』
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ドン・シーゲル『殺人者たち』 [映画VIDEO日誌2007-09]

2008.10.16  殺人者たち再び

 ある映画を観て。
 何か書きとめておきたいほど心に残るという体験とはいったい何なのだろうか。
 後年になって、その書きとめておいたことに暗示されるような出来事が訪れる。
 それは結局、自らの予言に捕らわれていくことではないのか……。

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 64年版『殺人者たち』を四十年ぶりに、ビデオで観た。
 リー・マーヴィンの、というか。
 監督ドン・シーゲルの、というか。
 アンジー・ディキンソンの、というか。
 ジョン・カサヴェテスの、というか。
 それらの複合体。
 元大統領ロナルド・レーガン最後の出演作でもある。あらためて観ても大根役者。
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 やはり傑作だ。当時の感想は変わらない。
 いつ、どんな状況で観たのか。すべて忘れてしまったが、とにかく。
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 勘違いがひとつ。
 ナンシー・ウィルソンの「Too Little Time」が流れたのは、エンド・ロールではなくて、劇中でだった。

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 さるサイトでタイトルを追っかけてDLしたら、同じヘミングウェイ原作『殺人者たち』でも、46年版だった。
 こちらは、ファイルを保存したきり、まだ観ていない。
 64年版も見つけたのだけれど、すでにデータが期限切れで、不完全DLしかできなかった。

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「Street Wise 子供たちをよろしく」 [映画VIDEO日誌2007-09]

2008.10.01  子供たちをよろしく

 さるサイトで「Street Wise 子供たちをよろしく」を見つけ、DL。
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 ラストに流れるトム・ウェイツのテーマ曲、音声ファイルのみを取り出し、ちょっと加工し、iPod に入れることができた。
 これだけでも、近来の快挙だな。
 捜し物というほど大げさではなかったが、年来の気がかりが一気に晴れ渡ったような。

 とは別に、アナログ・ビデオテープのデジタル化を始めた。
 やはり面倒くさい。時間がかかる。くたびれる。
 下手すると、趣味の領域をはみ出してしまうかもしれん。
 チャプター・メニュー自作の編集で、好みにDVDをつくれるんだが。
 それなりの労力と時間をつぎこまないと、なかなか。
 ソフトを試用かたがた、練習で一本「if もしも」をつくってみる。
 ファイルを取りこんでからなら、メディアへの書きこみは30分ほど。映像のグレードまではわからない。
 テープのキャプチャーには、映写時間そのままを要する(当たり前だけど)。
 ずっと番してる必要はなくても、やはり気になる。
 ちなみに、「if もしも」は、勝手に二つのファイルに分かれてしまった。
 途中で「ビデオ信号」が途切れた(テープのせいだろう)のが原因。
 
 もともとは内田吐夢『大菩薩峠』三本をデジタル化するのが、目的というか主な動機。
 これだってDVDが出てるんだから、それを買えばいい話。
 はたして目標まで行けるかな。

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ジョニー・トー『エグザイル/絆』 [映画VIDEO日誌2007-09]

 2008.09.01  試写
 ジョニー・トー『エグザイル/絆』
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 香港ドンパチ・ノワールでは出色の傑作だ。
 返還直前のマカオ版『ワイルドバンチ』
 ラストの銃撃戦の後、写真ボックスからインスタント・ポートレートが吐き出されてくるところ(彼らの生き死にの凝縮した宴の時はわずか三分だったということになる)とか、小道具の使い方がステキだ。

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 某日、某駅の地下で、安売りのDVDを物色。すっかりDVDも一枚250円時代だと納得した。
 納得したのみで買わず。
 タダで落とせるものは落とそう。
 ゴダールの『ウィークエンド』とか、マカヴェイエフの『スウィート・ムービー』とか。
 落とせるブツはいくらでもある。

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ジョージ・A・ロメロ『ダイアリー・オブ・ザ・デッド』 [映画VIDEO日誌2007-09]

2008.09.01  アンデッドの日記

 ジョージ・A・ロメロの新作『ダイアリー・オブ・ザ・デッド』をさるサイトから落として、鑑賞する。
 公開三ヶ月前なのに、ファイルがわんさか溢れているので驚いた。
 まあ、それはそれ。
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 なんていうか。
 『ゾンビ』DC版(アルジェント版ではない)に濃厚だったファミリー・ムーヴィー風のトーンが前面に出ているのに戸惑った。
 絶滅ワールドにあって数少ない生存者たちが、ファミリーとしてのかけがえのない日常を精いっぱいに生きる。
 それをベタッと愚直に記録する視点だ。
 人類がデッドに駆逐される破滅の日々をビデオカメラに収録しようとするグループが主人公。
 これは「ゾンビ映画についての」ゾンビ映画なのだ。困りましたな。
 ブレアウィッチ調のカメラワークは、もうカンベンしてほしかった。
 写す者が写され、画面は無限循環のように映像者=観客に投げ返されるエンドレスな袋小路の趣向だ。
 複雑な感慨に……。
 部分的には、素晴らしいショットがいくつもある。
 酸を浴びせられたゾンビのスキンヘッドがぶすぶすと溶けていくところ。
 また、吊るされて標的ゲームの的にされたゾンビが、大口径の銃弾に顔面の上部だけを残して寸断されるラスト。
 それらは、大まか特殊メイク効果によるもの。
 映像の進化はあっても、映像思想の深化はない。
 つまり、これは、ロメロ to ロメロのセルフ・オマージュ作品なんだな。
 しかし、なんだかんだいっても、世紀をまたいで本家ロメロの新作が二作もリリースされてくるのは素晴らしいことだ。
凡百のエピゴーネンども、ひざまずけ。

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ニック・カサヴェテス『アルファ・ドッグ』 [映画VIDEO日誌2007-09]

ニック・カサヴェテス脚本・監督の『アルファ・ドッグ』は、なかなかの掘り出し物だった。
 ★★★★
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 地味すぎて「未公開・レンタル専用」は仕方ないか。
 若手俳優ばかりの群像ドラマっぽいし、ブルース・ウィリスもシャロン・ストーンも客演気味の脇役だし。
 ハリー・ディーン・スタントンのジジイ役は良かったが。
 チンピラ同士の抗争で、まったく関わりのない少年がおよそ無意味に殺される。
 すべての人物がその破局に向かって、それぞれ一役かっているようにドラマが追いつめられていく。
 みなが信じられないような破局に協力し合う。
 悲劇というしかない結末への運びは見事な構成力。
 やはり、これは、カサヴェテスの血筋(ジョン・カサヴェテスとジーナ・ローランズの息子だから)なのだろう。
 と、思うことにする。
 『アメリカン・グラフティ』を、今つくれば、こういう作品になるだろう。
 その意味で、じつに真っ当な青春映画なのだ。
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