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深作欣二『仁義の墓場』 [日付のない映画日誌1970s]

深作欣二『仁義の墓場』 1975.2
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 何かで徹夜した後、観に行って、帰ってからゆっくり寝るつもりだったのが……。
 前後のことも、映画を観ている時間も、ぎすぎす重たく先鋭すぎて。
 別の日の出来事のいくつかもが、寄せ集めになるような具合。
 復元しようと思えば、ワナにはまるんだろう。
 オレが死んだら、鴉が鳴くだけ。
 渡哲也は、人斬り五郎よりも、狂犬石川のほうが似合った。
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森崎東『喜劇・特出しヒモ天国』 [日付のない映画日誌1970s]

加藤彰『東京エマニエル夫人』 1975.1
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森崎東『喜劇・特出しヒモ天国』 1975.5
 これは、森崎トンの最高傑作だったな。
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神代辰巳『黒薔薇昇天』1975.8
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向井寛『東京ディープスロート夫人』1975.12
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藤純子『緋牡丹博徒』『女渡世人』 [日付のない映画日誌1970s]

藤純子『緋牡丹博徒』『女渡世人』
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 ずいぶんと本数があったんだな。
 どれがどれだか、もう……。
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『日本侠客伝』『昭和残侠伝』『網走番外地』 [日付のない映画日誌1970s]

『日本侠客伝』『昭和残侠伝』『網走番外地』
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 シリーズのほとんどは観ているはずだが。
 これ一本、と残るものは、あまりすんなりとは想い出せない。
 斬り込みの前に女房と酒を酌み交わす中村錦之助の所作。これは一作目の『日本侠客伝』だった。
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深作欣二『仁義なき戦い』 [日付のない映画日誌1970s]

深作欣二『仁義なき戦い』
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 このヒット・シリーズの勢いで、東映はすっかり大作路線に移行してしまった。
 一本立て興行が普通になって、フロクのB級作品に意外な「掘り出し物」を見つける愉しみが消えた。
 一本だけ観て帰るのが、とにかく物足らなかった。
 じわじわとした失速がいたるところで進行して……。
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安藤昇『わが逃亡とSEXの記録』 [日付のない映画日誌1970s]

安藤昇『わが逃亡とSEXの記録』 1976.10
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 安藤昇の映画は、主役・準主役とも、たくさん観ているけれど、「自身」を演じた「実話」作品のうち、これを選ぶのは、不公平のような気がしないでもない。
 理由といって、仔細は何もなく。
 ありきたりのエロ映画だった。
 稀代のスカーフェイス俳優の実像が「マル見え」といった傑作にならなかったことが、かえって良かったのか。


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唐十郎『任俠外伝 玄界灘』 [日付のない映画日誌1970s]

唐十郎『任俠外伝 玄界灘』 1976.5
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 唐にとって、才能がおもむくままに炸裂する磁場は、
芝居(台本)
→小説
→芝居&映画(役者)
→映画(監督)の順だったのかな。
 これは、どうも、挨拶に困る作品だった。
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夢のまた夢 [日付のない映画日誌1970s]

ケネス・アンガー『スコーピオ・ライジング』などなど
1972&1973
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スティーヴ・レイルズバック『ヘルター・スケルター』 [日付のない映画日誌1970s]

スティーヴ・レイルズバック『ヘルター・スケルター』 1977.6
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 マンソン・ファミリーの女優惨殺事件を描いたセミ・ドキュメンタリー。
 東京でしか公開してなかったので、無理をして有楽町まで行って観た。
 残ったのは、強烈な後味の悪さだけ。
 マンソンを演じたレイルズバックへの不快感。
 この種の映画にとっては「価値」なのかもしれないが。
 後で知ったことによると、オリジナルは三時間ヴァージョンある。公開版はその半分の長さ。90分でも、我慢できる限度だった。
 レイルズバックは、後年『エド・ゲイン』の主役もつとめている怪優だ。
 悪名高い殺人鬼の「仲間」だが、まったく人間の種類は異なる。それを一人の役者が演じるのは只事ではない。
 という意味では、もっと注目を浴びて当然のスターなんだが……。
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マキノ雅弘『関東緋桜一家』 [日付のない映画日誌1970s]

マキノ雅弘『関東緋桜一家』
 東映やくざ映画には、毎年正月番組としてオールスター作品があった。
 主役が何人もいて、それぞれに見せ場を割り当てる必要があるので、作品的にはどうも散漫になりがちだ。
 後世に残るような名作は一つもなし。
 顔見世興行だから仕方がない。
 とはいえ、藤純子引退記念と銘打ってつくられた『関東緋桜一家』は、オールスター映画でありながら、空っぽな大作という以上の「感動」を与えてくれた。
 それが何故だったのかを考えてみると、つまり、この映画が「最後の着流しやくざ映画」の落日の模様を作品そのものにおいて見事に体現していたからなのだろう。
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内田吐夢『人生劇場・飛車角と吉良常』 [日付のない映画日誌1970s]

内田吐夢『人生劇場・飛車角と吉良常』
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 数あるやくざ映画のなかで、一本だけ選べといわれたら、これ。
 飛車角(鶴田浩二)がお豊(藤純子)と再会するシーンの無類さ。
 二人の間(距離)と言葉のない交感。
 その距離を埋める吉良常(辰巳柳太郎)の万感。
 セリフなしに進行する場面に、すべてを「語ってくる」映像は、いまだに眼に焼きついている。


 あるいは山下耕作『博奕打ち・いのち札』。
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『任俠映画の世界』『任俠映画大全集』 [日付のない映画日誌1970s]

『任俠映画の世界』荒地出版社 1969.12
『任俠映画大全集』キネマ旬報 1971.3.20増刊
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 この種の本が残っているように、すでにヤクザ映画は、70年代の境い目あたりで、「終わっていた」はずだ。
 ところが、個人的にみれば、ずっと現在進行形で観ていた、という記憶が鮮明だ。
  70年代の前半から半ばすぎにかけて、封切り館の京劇だけでなく、場末の二番館・三番館まで通う習慣がついていて……。
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 それが、自分自身の影を踏みながら、よろめき歩いているような厭わしさだった。
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『エロチカ』復刊第一号 日活ロマンポルノ特集 [日付のない映画日誌1970s]

『エロチカ』復刊第一号 日活ロマンポルノ特集
駿河台書房 1973.10
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 中川梨絵が、小川徹、神代辰巳を混じえた座談会に出ている記事など。
 小川は「女の身体って、あんなにきれいじゃない」といい、神代が同意している。
  ロマンポルノ以前は、暗い照明のもと、女体を「見えるとおりに」映していた、ということだ。
 暗く貧しい性的失業者の情念をそのまま反映するようにも、粗い肌の女たちのハダカが投げ出されていたのだ。
 中川は、エロスを感じる監督と仕事をしたいと語り、ジャンヌ・モローへの憧れをもらす。
 みんな、もう故人だな。
 特集の他には、沼正三『家畜人ヤプー』第二部スタートなど。

『花弁のしずく』(田中登)の中川梨絵
『日活ロマンポルノ大全集①』辰巳出版 1972
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 また小川徹の『映画芸術』も復刊して、ずいぶん熱心に読んだ。
 10年後に、その書き手の一人になるとは想像しなかったが。
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深作欣二『博徒外人部隊』 [日付のない映画日誌1970s]

深作欣二『博徒外人部隊』
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 沖縄やくざものとしては先駆的作品。
 図式は、本土植民地主義のやくざ版となる。
 後になって、これは『ワイルドバンチ』への深作的オマージュだったのだ、と思い当たる。
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 「10年ぶりのシャバの風は冷たかった」
 ファーストシーンの、鶴田のナレーションをまざまざと憶えているから不思議だ。
 
 本土で食い詰めた弱小ヤクザが沖縄に「侵略」の地歩を築く。汚い手段で地元ヤクザを制圧していく。だが、地ならしが出来上がったところで、本土から巨大組織が乗りこんでくる。彼らをしめだした遺恨の相手が……。
 主演の鶴田浩二、安藤昇をはじめ、渡瀬恒彦、小池朝雄、室田日出男など、助演陣も溌剌としていた。
 とくに、地元ヤクザの拳法使い兄弟を演じた若山富三郎と今井健二に刮目。
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梶芽衣子『銀蝶渡り鳥』 [日付のない映画日誌1970s]

梶芽衣子『銀蝶渡り鳥』
 藤純子引退の後、ポスト「緋牡丹博徒」路線がしばらく敷かれ、そのうちの一本がこれ。
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 東映移籍後、初主演だったか。
 日活に残ってロマンポルノ演るよりはマシかと思った程度。

 その後、『修羅雪姫』や『女囚さそり』のシリーズで、トップスターに登りつめるわけだ。
 けれども、アレは「梶芽衣子」という出来合いの虚像を演じているだけのようで……。
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サム・ペキンパー『ビリー・ザ・キッド 21才の生涯』 [日付のない映画日誌1970s]

サム・ペキンパー『ビリー・ザ・キッド 21才の生涯』
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 1973年10月 京極東宝 深夜興行
 知り合いと出会って、22時の開映まで少し時間があったので、ビールをつき合ってから映画館へ。

 このとき観たオープニング・シーンは「編集カット版」だった。
 後に「ペキンパー完全版」を観て、深く納得するものがあり。

 「おまえは何者だ」と訊かれた Dylan (役名エイリアス)が「いい質問だ」と答える名セリフ。
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http://atb66.blog.so-net.ne.jp/2015-02-09
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I Threw It All Away Bob Dylan [afterAtBL]

I Threw It All Away
  Bob Dylan

I once held her in my arms
She said she would always stay
But I was cruel
I treated her like a fool
I threw it all away

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行ってきました『ボブ・ディランの頭のなか』の試写会 [afterAtBL]

MASKED and ANONYMOUS

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 行ってきました『ボブ・ディランの頭のなか』の試写会

 こんなにこんなに待ちこがれた映画は近来なかった。
  その日が待ち遠しくて待ち遠しくて、指折り数えるなんてことまで……。

 一年以上前だったんだな。この作品の話を聞いて、じっさいに観たやつの失望まじりの感想も確かめて、こりゃゼッテー日本公開はネーよなと諦めたのは。2004年1月1日の日記に、そう書いてあった。
 CDを聴いて我慢すっかとニヒルっていたんである。

 ところがところが。
 観ると聴くとでは大違いというのはこのことだ。
 タイトルがスクリーンに映ったとたんにガンときた。「アメリカの裏庭」南米某国の猥雑なスラムの映像に、ラジオ伝道師のがなり声(フレーズは明らかにディランの詩だ)がかぶさり、そして真心ブラザーズの「マイ・バック・ペイジ」が流れてくるともう、ガンガンガンときたね。
 これは――ディランズ・メイズの多国籍版ではないか。
 そして、あろうことか、映像を借りたディランの新曲なのではないか。
 嗚呼

 出所したボブ・ディランがラテンアメリカ西部劇のスタイルで、バスに乗って市内に向かうシーン。
 なぜかダシール・ハメットの短編を思い出して涙が出てきた。

 国境、グローバリゼーションと不均等発展、北と南。
 そういったテーマは映像に介入してくるだけで、もちろんそれ以上の追究はなされない。
 人は神の心を持っているが、その身体は塵芥にすぎない……すべての人類は奴隷の種族であり、始まりからそうであった……
 すべてのイメージがディラノロジカルに再編成され、ディランの迷路のような歌声に流れこんでいく。
 世界を蹂躙する覇権帝国アメリカ、そこに奉仕する裏庭の独裁小国。
 殉教者さながらに彷徨い歩くロック・シンガー。
 寓話的な物語は、例によって、何も回答らしきものを示さない。
 ラストに流れるのは、21世紀ヴァージョンの「Blowin'in the Wind」だ。
 ~~我がァ友よ、その答えは風ェーに吹かれている~~か。

 これは彼が数かぎりなく繰り返し試みてきた、自作を再解釈・再々解釈・再々々解釈するカメレオンのような変貌そのままだ。
 この男は、映画を使って新曲を発表したのだ。

 老いてますますディランの風貌は『キルビル2』のデヴィッド・キャラダイン顔にしわんでいる。
 タランティーノがやればコミックにしかならないが、ディランならジュークボックス・ランボーの再降臨になる。
 これは映画でありながら、最初のシーンから最後のシーンにいたるまで、すみからすみまでどこまでもディランの「音楽」なのだ

 キリストのような殉教者に仕立てあげられるラストの意味もそれほど深読みすることはない。
 ディランはちゃんと居心地悪そうに演じていたし、俺はただのシンガーなんだぜと言い訳することも忘れていない。



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 監督ラリー・チャールズ
 ジョン・グッドマン
 ジェシカ・ラング
 ジェフ・ブリッジス
 ペネロペ・クルス
 ルーク・ウィルソン
 アンジェラ・バセット
 ミッキー・ローク
 リチャード・サラフィアン
 スティーヴン・バウアー
 ブルース・ダーン
 エド・ハリス
 ヴァル・キルマー
 チーチ・マリン
 クリス・ペン
 クリスチャン・スレイター
 フレッド・ウォード

 物語のクライマックス、難民キャンプみたいなところで開かれるチャリティ・コンサート。
 バンドの演奏は新大統領の私兵たちによって潰される。

 なんだかわざとややこしくヒネリをきかせてあるとしか思えないストーリーを懸命に追っかけていくと――ディランの役柄は大統領の息子(!)で、瀕死の大統領宅になんども電話しかける謎めいたイメージ・シーンも挿入されるし、新大統領になる彼の双子の兄弟ミッキー・ローク(どこが双子だ?)との因縁は聖書の兄弟殺しのモチーフにもなってくるし、アンジェラ・バセットの母親(どこが?)との会話なんてよくわからない。
 詮索すればきりがないけれど、じつは大した意味もなかったりするディランズ・メイズそのものなのだ。

 話を追っていくと、こんな具合で疲れる。心配したのは、とんでものカルト・ムーヴィーっぽさだ。
 ところが、娯楽映画としてもかろうじて出来上がっているではないか。
 そこに贔屓目ではなく、感動した。あっさり白旗だ。
 ディラン、あんたは今でも凄い。
 意味の過剰は無意味で、その底にある迷路こそがメッセージだ。

 イタリア語のラップにサンプリングされた「ライク・ア・ローリングストーン」にもびっくりしたが、マーティン・スコセッシによるドキュメンタリ・フィルムのタイトルは『NO DIRECTION HOME』という。

ホームページ更新日記2005.05より


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長谷部安春『野良猫ロック・セックスハンター』 [日付のない映画日誌1970s]

長谷部安春『野良猫ロック・セックスハンター』
 京一会館にいちばん良く似合っていたのは、『野良猫ロック』シリーズだった。
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 なかでも、基地の街を鮮烈に描いた第三作『セックスハンター』。
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 「ここは俺の遊び場だぜ」とうそぶく藤竜也の名セリフ。
 混血児を演じた安岡力也。
 混血児狩り集団の副ボス岡崎二朗。
 そして誰よりも、梶芽衣子。
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 「禁じられた一夜」のデュエット・ヴァージョン。


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アンジェイ・ワイダ『白樺の林』 [日付のない映画日誌1970s]

アンジェイ・ワイダ『白樺の林』1970
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 1977年。ワイダといえば『地下水道』『灰とダイヤモンド』が定番だったが。
 モノクロームのような白樺林の世界。
 かなり後に、岩波ホールで一般公開された。

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藤田敏八『八月の濡れた砂』 [日付のない映画日誌1970s]

藤田敏八『八月の濡れた砂』
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 映画そのものの記憶はごく頼りない。
 ラストシーンしか憶えていない。それも、流れてくる曲のおかげで「眼が醒めた」から。
 帰りに、石川セリのファースト・アルバムを買って。
 二枚目も三枚目も、聴きつづけたのだった。
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渡哲也『無頼』シリーズ [日付のない映画日誌1970s]

渡哲也『無頼』シリーズ
 封切りの時には観ていない。
 藤田五郎の原作は読んでいたのだが。
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 二度目の遭遇は、西陣大映。ロマンポルノの合間に一本入っていた。
 実録ヤクザ路線の「先駆」ということになるが、いかにも季節外れのうらぶれたたたずまいだった。
 おかげで、一年とちょっとのあいだ西陣五番町に棲むいきがかりになった。
 シリーズを通しで観たのは、やはり京一会館のオールナイト。
 何本目かの佳境に来たところで、フィルムがぶちきれて……。復旧に小一時間かかったか。
 ようやくつながったのが、数十分は巻き戻されてしまった場面からだった。
 我慢できずに、外に飛び出した。
 夜明けには、まだしばしの間があった。

http://atb66.blog.so-net.ne.jp/2014-10-25


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ロマンポルノが神話だった頃 [日付のない映画日誌1970s]

ロマンポルノが神話だった頃
 ピンク映画の暗さは、性的失業者の怨念の暝さであったと同時に、低予算フィルムゆえの照明技術の不備でもあった。
 ロマンポルノは、その「貧困性」を突き破った。
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 裸電球の光量から自然の採光へ。ロマンポルノに「革命」があったとすれば、照明の差異が第一のものだった。
 というのは、後智慧にすぎず。
 驚きに満ちた作品群を体験する他なかったのだ。

神代辰巳『一条さゆり・濡れた欲情』
村川透『白い指の戯れ』

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京一会館の床が抜け落ちそうなくらい [日付のない映画日誌1970s]

 床が抜け落ちそうなくらい満員だった。
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 京一会館のオールナイトでやったロマンポルノ特集。
 観に行っただれかが、明け方、その興奮をおさえきれずに報告していたのを、おれは夢うつつに聞いていた。
 市場の二階にあった映画館に溢れかえっていた熱気をそのまま持ち帰ったような口ぶりだった。
 下鴨のアパートでのことだ。学生の出入りが騒がしく活発で、公安のマークにも入っていた。
 京一会館は、歩いていける距離だった。
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 ロマンポルノが神話だった頃。


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クリスチャン・ボルタンスキー「咳をする男」「舐める男」 [日付のない映画日誌1970s]

クリスチャン・ボルタンスキー「咳をする男」「舐める男」
アンダーグランド映画祭 京大西部講堂 1970
三日間連続のアングラ短篇映画上映。
いちばん強烈で忘れられない二作品。
どちらも、仮面の男がただ咳をしている、仮面の男が壁を舐めているだけの映画。
「YouTube」で観ることのできる「HeartBeat」の感触に近いが、もっと不気味な強迫感が強かった。
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https://www.youtube.com/watch?v=Yuux2WNaL-g

他には、西部講堂の想像を絶する底冷え。
帰りに、百万遍の銭湯に飛びこんで、やっと人心地ついた。
伝説の「大晦日ロック・コンサート」が始まる直前のこと。


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ゴダール&若松 [日付のない映画日誌1970s]

ゴダール&若松
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 マオイストだった頃のゴダールと一貫してブランキストだった若松。
 いかにも「時代」の取り合わせだ。
 ゴダールはバリケードのなかで何本か観た。会場で起こる笑いについていけないことが数度。
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 『性賊』『テロルの季節』は、新宿のアンダーグランド蠍座で観たはずだが、記憶のモヤがいっこうに晴れない。
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鶴田浩二『暴力団再武装』 [日付のない映画日誌1970s]

鶴田浩二『暴力団再武装』
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 佐藤純弥の作品としては、記憶に足りる唯一の作品。
 現代やくざのリアルな「実態」に切りこむ路線なんだが、リアリズムの「過剰さ」に辟易することもあり。
 この作品では、とくにラスト。
 鶴田の「腹切り」シーンにゾッとした。
 どうやら、それが三島事件(1970.11.25)への「批判的造型」であるらしい、と気づくと余計にうんざりした。


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鶴田浩二『傷だらけの人生』 [日付のない映画日誌1970s]

鶴田浩二『傷だらけの人生』
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 ヒット曲に便乗して製作されたもの。
 だが、凡作には終わっていない。
 というのも、鶴田やくざ映画路線の総集篇にもなっているからだ。渡世の掟にがんじがらめに縛られる「古い奴」の性格悲劇。
 渡世の兄弟分(義理の弟でもある)若山富三郎を誅して、妹(藤純子)から「人殺し」と蔑まれる。名作『博奕打ち・総長賭博』の役柄は、そのまま鶴田の金看板にもなった。
 以来、同一パターンの「悲劇」ドラマを鶴田は、何度となく演じた。東映やくざ映画の二律背反を、特攻隊世代の屈折をとおして「肉体化」した唯一のスターだ。
 この映画が描くのは、実の父親との対決。ドラマとしては「最後の」パターンだ。鶴田以外の役者では、成立しえないような話になっている。
 もうひとつ、『傷だらけの人生』が忘れられないのは、待田京介、石山健二郎、遠藤辰雄(太津朗)などの助演陣だ。脇役の層の厚さが、東映やくざ映画の興隆を支えていたのだ、とあらためて知らされる。
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ゴダール・マニフェスト 1970 [日付のない映画日誌1970s]

ゴダール・マニフェスト 1970
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 『ゴダールの全映画』芳賀書店 1983.11
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菅原文太『関東テキヤ一家』『まむしの兄弟』 [日付のない映画日誌1970s]

菅原文太『関東テキヤ一家』シリーズ1969-71
菅原文太『まむしの兄弟』シリーズ1971-75
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 どちらも封切りで観た記憶はない。
 後からバラバラに観散らかして、どれがどれとも区別のつかない様相。
 「テキヤ一家」のほうは、健さん着流しヤクザ路線のB級版で、クライマックスに流れる主題曲までついている。

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 その意味で、「まむし」のほうが、意外性の面白さがあふれていた。
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 ラストの「斬り込み」場面の決めセリフは、やくざ映画の定番。
 『昭和残侠伝』では、池部良の「秀次郎さん、ご一緒させていただきます」になる。
 流れ者が、一宿一飯の恩義でイノチを預ける。あくまで格調高い芝居が盛り上がっていくのだ。
 それが『まむしの兄弟』では、「キョウライ、行こけ」。
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 巻き舌のおかしな関西弁で、品位も美学もぶっ飛ばしてしまう。
 死に場所を選ぶ詩情なんてかけらもない。
 それまでの八方破れの極道人生そのままに、仕方がないので殴り込みに決起するだけ。
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 これをホームドラマ的に大衆化したものが『トラック野郎』シリーズだ。


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